『青武学舎とはどのような空手道場?』

現在、何が子供の教育に一番必要なのか 

近年の犯罪の傾向をみると、決して、生活に追い詰められているとは思えない『エリート層』の犯罪が増加していることに驚かされます。昔は犯罪者のおかれた境遇を見ると、貧困に耐えられず、立場の弱さに耐えられずにやむを得ず犯罪に手を染めてしまうというのがほとんどでした。

しかし政治家・医者・弁護士・大企業の社長・・・ 言わば学校生活における『知育教育』の競争を勝ち抜いて、学歴・実績ともに申し分の無い人々が、凶悪犯罪を犯してしまうというような事件が多発しているのです。いわゆる「勝ち組」の人が自ら自壊するかのごとく大変な失敗を犯してしまうというようなことがしばしば見受けられます。

これは、学校生活における『偏差値至上主義』の弊害ではないかと私は感じております。

『偏差値至上主義』とは過酷な世界です。しかし、これを必要か不必要かということになると「必要ではある」と思います。「知を鍛える」のは人間の強さであり、特権です。幼いときから極力それを鍛える事により、知識の幅を広げることができるからです。

身近な目標を設定し、常にその成績をあげることのみにあくせくするという単純な結果主義―   

そこには、それまでの過程や、敗北・失敗の必要性、精神的な成長などを評価するゆとりはあまりないようです。

幼児が受験をし、小学生が毎日の塾通いで疲れ果てる― 

彼らも頑張っていますが、これらは子供にとって「勉強」は生きていく上での「仕事」と言えるので仕方ないことなのでしょう。 

問題なのが、それと平行して行われなければならない道徳教育と情操教育とがあまりにも不充分であり、また行われているとしても他の学科の勉強の場合と同じように、所謂「学習」的に行われているということです。

机に座り、教材の本やテレビを見ながら指導する。義務的な行為であるため、子供たちは「学習」には応じますが、自身の勝手な意見・考えが優先され「心に壁」を作ってしまいがちです。

一番大切な事を学ぶはずなのに、居眠りをしている子もいるそうです。

このような話を聞いていると、『知育教育』だけでなく、子供にとって必要なのは、『武道教育』なのではないかと私は思います。

武道は直接的であり、その鍛錬は苦しさと痛みを伴います。またそこには礼や作法、調和といったものが厳しく求められます。  

また武道教育では学校での受身な授業による道徳教育ではなく、苦しい稽古という日常にはない激しいショックが、その身体に汗を流し息を上げさせ、気持ちを高揚・発散させます。

すべての稽古が終わると子供たちは実にすっきりとした表情を見せてくれます。

稽古前にあった「心の壁」を取り払われ、子供たち本来の素直で純粋な姿をあらわしたその直後に、当学舎では『道徳訓(*論語など)』の素読を行います。

その内容は簡単に言うと「真心」です。「心の壁」が取り払われ裸になった子供たちの心にそれが浸透していくのが、表情からも私には判ります。そこには眠そうな顔は見受けられません。 

空手は特に他のスポーツとは違い、オリンピックやプロスポーツに結びつくものではありません。結果を出すために行うものではなく、自分の内面を深く見つめ、間違いに気づき、正していくべきものだと思います。

また「正しく、強くなった」自分に出会えるのが喜びであるからこそ、稽古を続けることができるものだと思います。

日頃厳しい『偏差値教育』でもまれている彼らにとって、『武道教育』は自己を持ち崩してとんでもない失敗を犯さないためにも、自己の本性である「真心」に気付かせるきっかけになることでしょう。

そして「正しく、強く」律することのできる自分を持つことは、お金や成功よりも価値のある「心の財産」になるのではないでしょうか。 

私が主宰する『青少年育成武道教育学舎』は結果や成功を得ようとする場ではなく、このような「真心」を学ぶ場です。そしてその「真心」を持った人が最終的には成功や結果、そして『幸せ』をも得るのではないかと私は考えております。